『JOKER』がヒットした理由の精神的考察

今回は、2019年10月に公開され大ヒットを記録した映画『JOKER』を、ホアキン・フェニックス演じるジョーカーことアーサー・フレックの精神状態にスポットを当て考察したいと思います。

さて『JOKER』ですが、映画として大成功しましたね。

主演のホアキン・フェニックスはオスカーを獲得しましたし、R指定映画として歴代最高の興行収入の樹立、アメコミ映画としては異例のヴェニス映画祭での金獅子賞獲得など、興行面だけでなく批評家からの評価も獲得しました。

ちなみに、R指定とはアメリカの映画倫理におけるレーティングで、17歳以下がこの映画を観る場合は大人の同伴が必要という基準のことだそうです。
つまり「大人向け映画ですよ」ということですね。
同じジョーカーが登場し残酷なシーンも多数あった『ダークナイト』ですらR指定ではありませんでしたので、意外です。

でも、アメコミ映画って子どもも観るものですよね?なぜR指定なのでしょう?
エンタメ性より芸術性が重んじられるヴェニス映画祭で賞を獲得できたのはなぜなのでしょう

それはおそらく、『JOKER』が他のアメコミ映画とはまったく異なる異色の映画だからです!
(まぁ、それは観た人なら誰でも分かるか…)

それにです!とてもサイコパスな映画で全体的に暗いですし、爽快な気持ちになるアクションシーンもありませんし、ハッピーエンドでもありません。
「なんでこんなムズカシイ映画がヒットしたんだろう?」それが映画を観終わった後の率直な感想でした。

はて、ではなぜこの異色な作品がヒットしたのか。
どうやらそれは、冴えない中年男性であった主人公アーサー・フレックが悪のカリスマとしてのジョーカーへと生まれ変わるその「精神的な変化」に注目してみると見えてきそうです。

この映画は、主人公の心の動きに注目して観てみると一段と面白い、というのが僕の考え。
これから映画を観る人はぜひ「ここで主人公はどういう気持ちかな」と考えながら観ることをおすすめします。

では、物語のポイントをいくつか紹介しましょう。

『JOKER』は典型的なサクセスストーリー

はじめに簡単にあらすじだけ紹介します(※少しネタバレします。注意!)

アーサー・フレックはピエロの格好をした売れないコメディアンとして、ショーパブのような場所で雇われて働いています。すべてが上手くいかず打ちひしがれていた時、衝動的に人を殺してしまうのですが、その人が社会的に上流階級の人間だったことから格差問題に関心を寄せる人々に「あのピエロはヒーローだ」と祭り上げられ、影響力を手にしたことでジョーカーと名乗り殺人を肯定する悪のカリスマが誕生するというストーリーです。

これだけを見ると、優秀な青年アナキン・スカイウォーカーが悪の皇帝シスにそそのかされてダース・ベーダーへと生まれ変わる、あのスターウォーズエピソード1~3と同じようなバッドエンドのストーリーに聞こえますね。
ちょうどスターウォーズにおけるシスが、『JOKER』では世間の人々に置き換わった形ですね。

しかし、精神状態にスポットを当ててみるとその様相はガラリと変わってきます。

アーサー・フレックは人を笑わせるのが好きでコメディアンとして活動しています。しかしアンダーグラウンドの世界で細々と活動するばかりで、有名になれない。
いつか自分がTVで活躍する姿を想像ばかりしている。それどころかいい年をして、ガキの連中にからかわれて路地裏でリンチに遭う始末。
誰からにも認められず、承認欲求の塊のような人間なのです。

そんな時に思いがけず殺人を犯してしまったことで、自分が心の底から欲しかった人々からの承認が手に入る、しかも市全体に自分の生き方を支持する人が現れるわけです。

それによって彼は承認欲求が満たされ、その源=支配層への反逆&悪の行為を信奉することで、自信に満ち溢れたカリスマとして人々の前に姿を現すのです。

そう考えると、自分に自信を持てずダウナーだったた男の心が満たされ、全能感を獲得するサクセスストーリーだという表面上とは異なる見方ができます。

ジョーカーの精神状態にみんな共感している

ここで注目したいのは、
なぜアーサー(ジョーカー)がコメディアンという設定なのか?

このアーサー・フリックという男の名前も、コメディアンという設定も、これまでのジョーカーにはないオリジナルの設定です。

理由としてパッと思い浮かぶは、あのジョーカーの特徴である白塗りに裂けたような口のメイクが、ピエロ時代の名残だという設定にするため。

しかしああいう顔になった理由も、元来の設定では化学薬品の調合する槽に落ちたためといった理由づけがされていました(明確に決まっているわけでは無いようですが)。
なので、わざわざピエロだったという設定にする必然性はないのです。

僕が思うに今回、製作者はピエロよりも「コメディアン」という設定を欲したのではないかと思います。
なぜかというと、コメディアンとは人を笑わせる仕事。人を笑顔にしたいという、他者志向の強い人間だという設定を作りたかったのではないかと思うからです。

英語版Wikipediaが出典ですが、映画『ジョーカー』のコンセプトはメンタルの問題とそれが及ぼす影響についてだそうで、特に全米でたびたび起こる無差別銃撃事件の犯人を想定して制作されたと言います。

アーサー・フリックをとても他者思いの心優しい人物という設定にすれば、人を笑顔にしたいという強い思いとは裏腹の惨めな自分、理想と現実のギャップから著しく自己肯定感が低く、さらに人からバカにされ続け自尊心を深く傷つけられ、そうして肥大化した承認欲求が殺人という形で満たされてしまったために悪こそが正義という怪物ジョーカーが生まれてしまった、というストーリーが現実性を帯ます。

加えて、突然笑い出してしまい自分でもコントロールが効かない情動調節障害を患っている。それが「自分は人と違う」という感覚も彼にもたらしている。

こうした「他者思い」「自己肯定感」「承認欲求」「発達障害」これらはまさに現代的なメンタルの問題です。

ちょうど日本でもここ10年くらいで『嫌われる勇気』や『繊細さん』など人間関係の悩みを正面から切り込んだ本がベストセラーとなり、生き方の問題は頻繁に取りざたされます。
そうした時代の雰囲気をよく捉えていた。

ジョーカーになる前のアーサー・フリックが抱いていたこうした悩みに、人々が無意識に共感を感じていることが『JOKER』ヒットの大きな理由ではないかと思います。

アーサー・フレックはどこで道を踏み間違えたか

この映画が現代人の心理を巧みに描いた作品だとすれば、この映画が訴える問題意識はどこにあるでしょうか。

一つは、ごく優しい一般人であっても凶悪な犯罪者へと変化する可能性を秘めているということでしょう。

SNSなどを介して人からの支持を得ることで自分の行為が正当化されたと錯覚し、いきすぎた行動にでてしまう可能性は誰にでもある。
迷惑系Youtuberが問題になりましたが、彼らの精神性はまさに同じような構造ですね。

「いいね」が得られるかどうかが気になってしょうがないという承認欲求を煽る構造も問題な一方、逆に「いいね」を大量に手に入れた場合も、自分の行っている行為が正しいのだと過信してしまう危険性がある。
その怖さを訴えていると捉えることができます。

二つ目に、必ずしも自分のやりたいこと、好きなことを仕事にするのが正ではないという訴え。

彼のそもそもの過ちは、コメディアンという仕事を選んでしまったことがではないかとおもいます。

人を笑わせたいという自分の夢にこだわってコメディアンになった。
だからそれが叶わない現実とのギャップに苦しむことになった。

彼は大人になっても「捨てられない人」でした。

自分にはできることとできないことがある。それを認識した上で、では出来ることの範囲内でどうやったら幸せになれるか、という発想が考えらない人間になっていた。

物語では、自分の家族関係、同じ建物に暮らすシングルマザーの女性との関係、自分がすごい人間なんだという希望につながる手がかりを探しては、ことごとく打ち砕かれていきます。
そうしてどんどんと負のスパイラルに落ちていってしまう。

でもその姿は決して他人ごとではなく、誰もがハマってしまう可能性のある精神の問題を象徴的に描いているのです。

まさに現代の問題点を鋭く描いた、名作だと言えるでしょう。