【本の紹介】ハーメルンの笛吹き男

阿部謹也 著

『ハーメルンの笛吹き男』の話はなぜ伝説と化したのか。そのミステリーに迫りながら、中世ヨーロッパを生きた名もなき人々の姿を明らかにする名著。

「『ハーメルンの笛吹き男』かぁ。なんか名前は聞いたことあるけど、どういう話だったっけ?」
書店で本の表紙に目がとまった時、頭の中に浮かんだのはそんなボヤっとした記憶の断片だけだった。本書を読み始めてから知ったのだが、『ハーメルンの笛吹き男』は有名な『グリム童話集』に収められた説話の一つなのだった。なるほど、子どもの頃に家にあった『グリム童話集』の本で読んだんだな。でも物語の内容は全く思い出せなかった。思い出せないということは、その程度のインパクトの話だったということだ。

しかし、この本の表紙に目がとまった理由はもう一つあった。帯に書かれていた言葉にグッと心を掴まれた。帯にはこう書かれてあった。

「1284年6月26日 ドイツ・ハーメルンで約130人の子供が集団失踪した…」

「え??そんな昔の物語なのになんで日付が分かるわけ?」まるで現代の事件発生日であるかのよう。すごく引っ掛かった。帯の続きにはこう書かれていた。

「伝説化した(実在)未解決事件の謎を解く歴史学の名著」

ここまで読んで僕は本を手に取り、書店のレジに並んでいた。

『グリム童話集』はグリム兄弟の手により編纂された童話集である。ただし彼らはあくまで編集者であり、物語は彼らが創作したものではない。もともと伝承として各地に語り継がれていた説話を、彼らが1冊の書物としてまとめ上げたものだ。

だから、中には実際に起きた出来事が語り継がれるうちに伝説と化した話もある。この『ハーメルンの笛吹き男』がその代表例だった。

話のあらすじはこうだ。
時は13世紀の中世ヨーロッパ。現在のドイツにハーメルンという都市があった。

ある時、ハーメルン市に不思議な男が現れる。様々な色の混じった上衣を着た彼は、当時ネズミの被害に悩まされていた市に対し、報酬と引き換えにネズミをすべて退治するという話を持ちかけた。市がそれを受け入れると、男は持っていた笛を取り出した。笛を吹き鳴らすと、街中のネズミが彼に引き寄せられ、彼に引き連れられて街を出て消えていった。かくして男が戻って来る。しかし、怪しい術を用いたとして市は彼への報酬の支払いを拒否する。それに怒った男は街を出て行く。

そして来たる1284年6月26日、男が再びハーメルン市に戻って来る。彼が笛を取り出し吹き鳴らすと、今度は子ども達が音色に引き寄せられ彼に付いていってしまった。合計130人にも及ぶ子ども達を引き連れて、男は街を出て行き、そのまま子ども達もろともどこかへ消えて行ってしまったのだった。

少年少女の大量失踪事件である。とても暗い話だ。

ハーメルン市ではこの逸話が綿々と語り継がれてきた。なんと、通常の西暦の他に「この事件が起こった日から今日で〇〇年」という形で年月を数える習慣まであったという。そこに住む人々にとって、それだけ重大な意味を持つ事件であったらしい。

しかし、いかんせん1284年の出来事。明確に記録上に現れるのは16世紀の書物からであり、それ以前は口承で語り継がれていたのみで史料が少なく、真相の究明はどう考えても困難だ。
それでも著者はこの事件に強く興味を惹かれ、研究を始める。

まず著者が注目したのは「この物語が特別扱いされ語り継がれてきた」という事実だった。中世ヨーロッパなら、このような暗い話はいくらでもあったことだろう。「なのになぜこの話だけがことさら重く扱われているのか?」

そこに謎を解くヒントがあると考えたのだ。

著者は著名な中世史の研究者であり、歴史背景に関する説明がとても深い。
たとえば、現代においては収入や知名度が社会的信用の尺度として用いられるが、中世におけるそれは土地であった。広い土地を持っているほど、社会的なステータスが高かった。

だから土地を持っていない層(農民、商人、職人など)は相対的に地位が低く、中でも自分の家をはじめ財産を持っていないような人々は貧民層に位置付けられた。夫を無くした婦人、墓守、皮剥人、刑吏などは賎民として差別の対象ですらあった。

芸を持って各地を放浪する遍歴芸人も賎民に含まれていた。つまり当時の人々の常識では、「笛吹き男」は被差別民だったのだ。
被差別民である芸人を主人公に語られるこの「ハーメルンの笛吹き男」は、こうした貧民層の人々にとって何らか意味を持つ物語であったからこそ、語り継がれてきたのではないか。そう著者は考えた。

では、当時の人々の暮らしとはどのようなものだったのか。この物語の何が彼らの心を打ったのか。それを紐解いていく過程で、徐々にこの物語が語り継がれてきた意味が見えてくる。その過程が本書の一番面白いところであろう。

「伝説化した(実在)未解決事件の謎を解く歴史学の名著」と本の帯には書いてあった。しかし単なるノンフィクション・ミステリーでもない。
中世ヨーロッパの市民社会とはどのような姿をしていたのか?そこに生きた人々の生活は?彼らは何を生きがいにしていたのか?知的な面白さが詰まった作品である。
しかも極力難しい言葉を使わずに語ろうとする著者の意図が感じられ、文章も非常に読みやすい。

ノンフィクションミステリーの歴史好きにはぜひ読んでいただきたい一冊である。

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ケイタム
1990年2月生まれ みずがめ座 経歴:早稲田大学→音響系EC会社の海外調達部署→Web広告代理店にて広告運用 趣味:音楽、競馬、読書、カメラ、アウトドア、ラーメン屋めぐり 好きなアーティスト:スピッツ/King Gnu/サザンオールスターズ/Fishmans/きゃりーぱみゅぱみゅ/The Beatles/Jamiroquai/Two Door Cinema Club/Oasis/Friendly Fires/Foster the People/Grouplove/ワインレッドの心 好きな馬:キセキ